哲学部
人間の社会、文化、芸術、科学、技術はすべて哲学からはじまった。哲学は、だからいろんなことを教えてくれる。
News Stories

20世紀の哲学~実存主義以外

新トマス主義は、トマス・アクィナスの伝統につらなる思想をもう一度とりあげている。いわゆる分析哲学、論理実証主義はヒュームやイギリスの経験主義や、アリストテレスの論理学をとらえなおしている。それから20世紀には、新マルクス主義のたくさんの潮流も現れた。ネオダーウィニズムというのもでてきた。精神分析も20世紀の哲学に大きな影響を与えた。

さらにもう一つ、忘れてならない最後の流れが唯物論だ。このルーツも古い。現代科学には、ソクラテス以前の哲学者たちの努力をひきついでいる分野がいくつもある。たとえば、すべての物質のもとになっている、それ以上分けられない元素探しはいまもつづいている。そしていまだに、物質とはなにかをだれもきちんと説明できないのだ。現代の自然科学――原子物理学、量子力学や生化学はとても魅力的で、ここから人生哲学を汲みとっている人も多い。

実存に関する問いは1回こっきり「はい、これです」と答えが出るようなものではない、とサルトルはいったが、結局、哲学の問いとは、それぞれの世代が、それぞれの個人が、何度も何度も新しく立てなければならないのだ。そういうときにこそ、哲学の問いを立てるときにこそ、生きているという実感がするものなのだ。それに、人間は過去、大きな問いの答えを探していて、ついでにさまざまな小さな問いの正しい答えをいくつも発見してきたのだ。科学や研究や技術はみんな、哲学の思索から生まれた。ついには人間を月に連れていったのも、もとはといえば存在に対する人間の驚きだったのだ。アームストロングは月に足を降ろしたとき、こういった。「このひとりの人間の小さな一歩は、人類の偉大な飛躍だ」。彼は自分の経験には、自分より前に生きたすべての人の経験がこもっている、といいたかったのだ。彼がなしとげたことは、彼だけの手柄ではないし、現代人だけの手柄でもない。

ぼくらの時代は新しいさまざまな問題に直面している。まず深刻な環境問題。だから、20世紀の重要な哲学の流れのひとつはエコロジーだ。エコロジストたちは、ぼくらの文明はまちがった道を歩んできた、地球という惑星の存続に矛盾するようにコースをたどつてきた、と主張している。環境汚染や環境破壊の具体的な結果を分析するだけでなく、問題をもっと掘りさげて、ヨーロッパの思想はどこかおかしい、といっている。エコロジーは、たとえば進歩の思想を問題にする。進歩の思想は、人間は自然界のトップ、つまりぼくらは自然界の主人なのだということを踏まえている。そしてまさにこの考え方が命の惑星全体を危険にさらすかもしれないのだ。進歩の思想を批判するのに、多くのエコロジストは思想やアイデアを、たとえばインドなどのほかの文化から借りてくる。ぼくらが失ったものが見つかりはしないかと、自然民族と呼ばれる人びとの思想や生活を研究する。最近では、科学の内部から発言する人もでてきて、ぼくらの科学的な思考は「パラダイムの変換」をせまられている、という。科学的思考の枠組みをおおもとから組みなおさなければならない、ということだ。これはたくさんの分野で豊かな成果をあげている。それから、「オルターナティヴ運動」も最近よく耳にする。ものごとをトータルに考えて、新しい生活スタイルをつくっていこうとする運動だ。オルターナティヴ、つまり「もう一つの選択」というのは、いまぼくらが採用しているやり方よりもっといい、別のやり方はないか、という問題提起の姿勢を表しているのだ。けれども人間のすることはすべて玉石混淆。だから、選り分けなければならない。ぼくらは新しい時代「ニューエイジ」に近づいている、という人がたくさんいる。でも、新しければなんでもいいわけではないし、古いものはなんでも捨てればいいわけでもない。だから、哲学が必要なのだ。人間の思想の歴史を知れば、石ころと宝石の見分けもつく。そうすれば、人生の方向が見つけやすくもなる。

哲学を知っていれば、ニューエイジの旗印をかかげている多くのことがただのイカサマと見極めることもできるはずだ。なにしろ先進国のあいだではここ30年、「新宗教」とか「新オカルティズム」とか呼ばれるものがやけに幅をきかせている。退屈な日常を超えたものを教えてくれるし、人は神秘的なものや異質なものへのあこがれを感じる生き物だから、一大産業になっているほどだ。ニューエイジ、オルターナティヴ、オカルト、超心理学、心霊現象、霊能……。キリスト教が意味を失った一方で、世界観の市場には、まるできのこみたいににょきにょきと生えた新手の商品が売りに出されている。でも全部、まやかしとペテンだ。こういうものにハマる人びとは、どこかで道を踏み外した。ぼくらは不思議の物語のなかを歩きまわっているのだ。目の前には明るい太陽の光に照らされた、すばらしい創造の世界が広がっている。これだけでも信じられないことなのだ。どうして占い師におうかがいを立てたり、似非科学に首をつっこんで、ドキドキしたがる必要があるのだろう。

ルネサンス以来、世界は爆発的に広がっていった。現代人は世界中を旅する。全世界がひとつのコミュニケーションネットで結ばれている。哲学者たちが世界を知ろうとしたり、ほかの思想家と会おうとすれば、馬や馬車で何日もかかっていたのはそう昔のことではない。なのにいまや、この惑星のどこにいても、ありとあらゆる人間の経験をコンピュータの画面に呼び出すことができる。

問題は、歴史は終わりに近づいているのか、それとも逆に、ぼくらはまったく新しい時代のとば口に立っているのか、ということだ。おそらくは後者だ。ぼくらはもう、ある町や国のたんなる住人ではない。ぼくらは丸々一つの惑星文明を生きている。



40代前半。この年になると仕事でも私生活でもいろいろ思うところがあり、思索にくれるうちに頭がこんぐらがってきたから、ブログに思いのたけをつづって、ついでに問題を整理しようと思ったのが、当サイト開設のきっかけ。だから全部、日記みたいなもの。
Leave a Reply