哲学部
人間の社会、文化、芸術、科学、技術はすべて哲学からはじまった。哲学は、だからいろんなことを教えてくれる。
News Stories

アリストテレスって、やっぱ天才哲学者かも

アリストテレス横顔

 

アリストテレス(紀元前384~322年)は、いろんな学問の土台をつくり、学問の体系化にいそしんだとってもグレートな哲学者。後進の偉大な哲学者たちにも多大なる影響を与えている。

そういうひとはたいていが自信家なのだ。顰(ひそみ)にならうことはしない。権威にへつらうなんてこともない。だからであろうか、アリストテレスは師匠プラトンが声高にとなえるイデア説を一刀両断に切り捨てた。

痛快! アリストテレスのプラトン批判

まずは、プラトンのイデア説のおさらいを簡単に。

ぼくら人間も含め、森羅万象のすべては流れ去るものだ。でも、馬は馬として、ニワトリはニワトリとして生まれてくる。ならば、そこにはなにがしかの普遍的で永遠不変の「型」(イデア)があるはずだ。そしてこのひな形は、物質とも時間とも無関係に存在している。

で、アリストテレスの主張はこんなふう。

1羽のカナリアはたしかに「流れ去る」し、そのかたちも永遠不変だ。しかし、あなたのいう「イデア」というのは単なる概念にすぎない。ぼくらが何度も繰り返しカナリアを見たあとでつくりあげたものだ。だから、経験に先立つイデアなんかない

しごくまっとうな意見だと思う。

もしイデアなるものがあるのなら、人間の製造物はどうなるのか、とぼくも思う。たとえば建物や食器、衣服はどうか。ああいうのもイデアが最初にあったのか。もしそうなら人間がつくらなくたって、最初から地上に存在していたはずである。

でも、実際は全部、人間の手になる発明だ。利便性を求めていくうち、雨露をしのぐための壁や屋根ができた。食器は、手づかみで食事すると指が汚れるから生まれたのだろうし、衣服はからだを保護したり保温したりするためにある。さらに道具や文明は日進月歩で進歩してゆく。概念は、人間の経験の積み重ねによってつくられるのだ。

感覚と経験が理性に先立つ、という考え方にぼくは大賛成。五感すべてを失えば、ヒトはそのうちなにも考えられなくなってしまうと、ある脳科学者から聞いたこともある。

それにしても、アリストテレスがこの時代、こんにちの「種」の概念に到達していることには驚く。

ともあれ、プラトン「頭で考えることが現実のすべて」と考えていたのに対し、アリストテレスは「感覚でとらえたことが現実のすべて」と考えていたわけだ。

イデアなど存在しない! でも人間には、生まれつき理性がある

半面、アリストテレスはぼくらに生得の理性があることを否定しなかった。その理性というのは、

目や耳、鼻、皮膚、舌から入ってくる印象(情報)を、グループ化したり、階層化したりする脳力。

だから、「人間」「動物」「昆虫」「魚」「植物」「鉱物」なんていう概念が成り立つのだし、「白人」「黒人」「黄色人種」なんていう概念も成り立つのだ。アリストテレスはだから、理性は人間であることの証明だとした。ただし、ぼくらがなにも経験しないかぎり、理性はからっぽだとも。

というわけで、彼は自然をとことん分類しようとした。

人間であることのあかしは、悟性(概念化能力)にあり!

最初にやったのは、自然界を2つに分けることだった。分け方はシンプルだ。「命あるもの」「命を持たないもの」、つまり生物か無生物か。そのモノサシは、変化の可能性を自己の内側に秘めているかどうか。でもって、自然はこのふたつのあいだをゆるやかに移行している、ととなえた。

アリストテレスによると、人間や動物なんかは生き物だが、植物はその中間に位置しているという。生き物と同じように、植物にも栄養をとって成長し、子孫を残す能力はあるものの、周囲の環境を感じとったり、自由に動きまわったりできないという点で、生物以下としたようだ。

また、先に書いた生得の理性(理性より悟性のほうが適切と思うので、以下、悟性)――感覚でとらえたことを整理整頓して、グループや階層に分類する能力(概念化する能力)がそなわっているという。

さらに、ぼくらが住むこの世界を最初にセッティングし、スイッチをオンにした「第一起動者(神)」がいるにちがいない、とも考えていた。

まあ、第一起動者の存在とか、植物に感性がないといったあたりはさておき、悟性――概念化能力に対する洞察が鋭すぎて、ぼくはまたもや舌を巻くのである。現代の先端脳科学でも、ヒトの前頭葉の主たる機能は「選択」と「分析」と「系列化」だといっている。

ただし、悟性が人間にしかない、というのは腹に落ちない。動物にも悟性はあると思う。犬や猫だって、自分たちと人間やほかの動物とのちがいは認識している。飼い主がくれるエサをぜんぶ同じとも思っていない。好き嫌いはある。ある程度の概念化はしているはずだ。

ようは獲得した概念を使って、形而上の思索をめぐらせることができるかどうか、ここが人間と動物を区切る境界線だとぼくは考えている。雨が降ってきたから雨宿りしなきゃ、というのはスズメでも考えるが、スズメが雨の降る理由を考えたり、そぼふる雨を見ながら俳句を詠んだりはしない、ということだ。

自然界は形相と質料でなりたち、目的因が支配

ちょっと脱線したけれど、アリストテレスは、自然界は形相(性質)質料(素材)からなるいろんなものでできていて、質料はいつも特定の形相をとる、というようなことをいった。

さらに彼は、自然界には「目的因」があると考えていた。

これは、たとえば生き物が成長するのに不可欠だから雨は降る、というような考え方。自然現象にはいつも目的がある、と考えたのだ。雨が降るのは動植物が成長するためだし、そうやって成長した植物が実をつけるのは、動物のおなかを満たすためだ、というふう。

因果律の反対である。

たくさん雨が降ったから、庭先に雑草が生い茂った、とは考えないわけである。アリストテレスにいわせれば、ぼくが妻に命じられて、汗みずくで草むしりをするために昨夜の雨は降った、というようなことになる。ぼくと妻が所帯をもったから、世界一かわいいうちの娘が生まれてきたのではなく、宇宙一かわいいうちの娘がこの世に生を受けるためにぼくと妻は出会った、ということになる。

文学ならいざしらず、こんにちの科学ではもちろん、そんなふうには考えない。もっとも、いまでも世界は人間と動物が生きるために神さまがつくった、と考える人は少なくはないけれど。

アリストテレスの偉業はほかにもある!

アリストテレス、じつは「論理学」の開祖。そのキモは、概念と概念を結びつけて、ものごとの関係をすっきりさせることにある。

1.三段論法をつくった

たとえば「すべての人間はいつか死ぬ」という大概念(第一前提)があり、「アリストテレスは人間である」という小概念(第二前提)があるとき、「アリストテレスはいつか死ぬ」という結論が導ける。

こんなふうに、2つの前提からひとつの結論を導きだす、伝統的論理学の手法である間接推理はアリストテレスが定式化した。

2.幸福になる方法を明快に語った

アリストテレスの倫理学によると、幸せには3つのかたちがあるという。

  1. 快楽満足に生きること。
  2. 自由で責任のある市民として生きること。
  3. 科学者哲学者として生きること。

この3つがそろったとき、ぼくらは幸せに生きていける、だからけっしてどこかにかたよってはいかんぞ、とかいっている。

3.中庸の徳(バランス感覚)の大切さを説いた

徳、に関しては、「中庸の徳」を説いた。

中庸とはなんぞや?
アリストテレスの徳論の中心となる概念だ。過大と過小との両極の正しい中間を知見によって定めることで、その結果として徳として卓越する。たとえば勇気は、怯懦(臆病で意志が弱いこと)と粗暴との中間であり、かつ質的に異なる徳の次元に達する。

臆病風に吹かれてはいけないけれど、蛮勇をふるってもいけない。ぼくらは正しく勇敢でなければならない。吝嗇家(けちんぼ)も浪費家もダメ。他人には気前よくふるまわないといけない。

小食も過食も危険。ギリシア医学が教えているように、なににつけてもバランス感覚と中庸こそが、ぼくらを調和のとれた人間にしてくれるというわけだ。

飽食の時代に生きる現代人はみんな食べすぎている。生活習慣病がまん延している理由もそこにある。そうかと思えば、やたらダイエットに血道をあげる女性陣がいる。アリストテレスは古代ギリシアから、そんなぼくらに警鐘を鳴らしてくれているのである。

こうしたアリストテレスが鐘の音は、彼の社会観からも聞こえてくる。

アリストテレスの「理想の国家」とは?

アリストテレスは、人間を政治的な生き物ととらえていた。

ぼくらの生活のベースは家族、そして地域社会。でも人間社会のいちばん高度なかたちは国家。彼によれば、この国家の形状にもっともふさわしいのは、

  1. 君主国家
  2. 貴族制
  3. 民主制

であり、民主制は衆愚政治におちいりやすいとのこと。

これが正しいかどうかなんて、ぼくにはわからない。ただ、このごろの日本の政治や社会のありよう――とくに年々金額の増えてゆく税金の納付書(笑)なんかを眺めていると、民主主義に関するアリストテレスの洞察はじつに的を射ていたのだなあ、という思いが胸をよぎるのである。

そろそろ国家の運営システムも弁証法的発展を遂げ、君主制や貴族制や民主制、あるいは共産主義や資本主義を超克する政治形態があらわれてきてもいいのではないだろうか。

女性は「不完全な男」!?

アリストテレスは女性を「不完全な男」ととらえていたという。

生まれてくる子どものあらゆる形相(性質)は男性の精液にあって、女性はただそれを受け入れ、質料(素材)つまり肉体をつくるだけのものとのたまっていたそうだ。

現代女性が聞いたら卒倒モノである。が、なにぶん卵子や遺伝子の存在が明かされるのはずっとあとのこと。女性の方も、大目にみてあげてほしい。

知っておきたいのは、のちのキリスト教会が、アリストテレスのこの女性感を利用した、ということだろう。聖書にはそんな記述がどこにもないにもかかわらず、である。

最後になったが、アリストテレスのプロフィールをざっとつづって、この稿を締めくくりたいと思う。

 

アリストテレスの顔PROFILE/アリストテレス【Aristotle】

古代ギリシアの哲学者。マケドニア生まれ。プラトンの弟子。プラトンが61歳のときにアカデメイアへやってきた。

父親は医者で自然科学者。その影響から、自然に関心を向けた。感覚世界を「流れ去る」だけのものと考えたプラトンとちがって、彼は自然のなかを歩きまわり、動植物をつぶさに観察、研究した。そして、プラトンを超克した。

プラトンは理性のみを用いたのに対し、彼は感覚のみを用いた、と評される。

 

アリストテレスの話はこれでおしまいだ。ここまでがヨーロッパ哲学の基礎。ここからヘレニズム時代に突入し、時代は新しいステージを迎えることになる。

つづく



40代前半。この年になると仕事でも私生活でもいろいろ思うところがあり、思索にくれるうちに頭がこんぐらがってきたから、ブログに思いのたけをつづって、ついでに問題を整理しようと思ったのが、当サイト開設のきっかけ。だから全部、日記みたいなもの。
Leave a Reply