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18世紀、合理主義から経験主義へ

デカルトとスピノザは筋金入りの合理主義者だった。合理主義者は、理性が知の源だとして信頼を寄せる。生得観念があると考えているケースも多い。デカルトの「完全なもの」などがそうだ。彼は、そこから神は存在すると結論づけた。合理主義は中世にも古代ギリシアのプラトンやソクラテスにもみられたが、17世紀の哲学においてもメインストリームだった。ところが18世紀に入ると、合理主義への批判が高まった。哲学者の多くは、感覚的な経験をしないうちは、ぼくらの意識に中身などないという立場だ。合理主義に対して、これを「経験主義」という。経験主義者は、感覚が語りかけることから世界についてのすべての知を導き出そうとする。古典的な定義はアリストテレスがした。アリストテレスは、まず先に感覚のなかに存在しなかったものは意識のなかに存在しない、といった。イデア説を唱えたプラトンへの明快な批判だった。

経験主義の哲学者の代表格は、ロックとバークリとヒューム。全員、イギリス人。17世紀の合理主義を最初に唱えたのは、フランス人デカルト、オランダ人スピノザ、ドイツ人ライプニッツだったから、イギリス経験主義と大陸合理主義という分け方をよくする。

ロックは先のアリストテレスの言葉を使い、デカルトを批判した。人間は生得観念など持ってはいない。世界を知覚しないうちはなにも知らない。だから、経験した事実と矛盾する観念があるなら、それはまちがっている、と。たとえば、神や永遠や実体という言葉を使うのは、理性を空回りされることなのだ。だって、だれも神や永遠や実体を経験したことがないのだから。そういうものは思考のたわむれなのだ。17、18世紀の合理主義の哲学者らはそういうペダンチック(衒学的)なことをつづった学術論文をたくさん引き継いでいたから、検証作業を始めた。あらゆる観念を洗い直して、経験に裏打ちされているかどうかを見極めようとしたのだった。



40代前半。この年になると仕事でも私生活でもいろいろ思うところがあり、思索にくれるうちに頭がこんぐらがってきたから、ブログに思いのたけをつづって、ついでに問題を整理しようと思ったのが、当サイト開設のきっかけ。だから全部、日記みたいなもの。
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