哲学部
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インド-ヨーロッパ

インド-ヨーロッパ語を話す国々と文化をひっくるめて「インド-ヨーロッパ」という。4000年前、原インド-ヨーロッパ語を話す人々が黒海とカスピ海のあたりに住んでいた。ほどなく彼らは大挙して四方八方へ移動し、隆盛をきわめた。ヴェーダというインドの書物も、ギリシア哲学も、詩人スノリの神々の教義も、同じ仲間の言語で書かれている。だから、「インド-ヨーロッパ文化圏」とか「インド-ヨーロッパ語圏」とかいう。似た言語には似た考え方が含まれる。この文化圏の特徴は、さまざまなおびただしい神を信じる点にある。多神教だ。神々の名前や宗教にまつわる重要な単語や表現も共通している。たとえば、古代インドでは天の神「ディアウス」を信仰していた。ギリシア語ではゼウス、ラテン語ではユピテル、古代北欧ではテュールだ。神話にも、インド-ヨーロッパのすべての地域ではっきりした類縁関係がある。スノリが物語る古代北欧の神々をめぐる神話には、その二、三千年前に語られたインドの神話を彷彿させるものがたくさんある。不死の飲み物と、混沌の怪物との神々の戦いの神話などがそうだ。思考形態にも共通点が見られる。世界を善と悪の力が激しくせめぎあうドラマとしてとらえる、という点がそう。だから、インド-ヨーロッパの人々は、なにかといえば世界がどうなるのかを預言によって知ろうとした。ギリシア哲学がこの地域で生まれたのも偶然ではない。神話体系や思考形態に、哲学的で論理的な思考法のきっかけとなるものがある。

インド-ヨーロッパの人々は世界のなりゆきの見通しを手に入れようとした。「見通し」「知」といったものを時代や文化を超えて追求したのだ。ギリシア語のイデア、サンスクリット語のヴィデアー、ラテン語でウィデオー(「見る」の意)、ドイツ語のヴィッセン、どれも根は同じだ。ここからいえるのは、「見ること」がとても重要な意味をもっていたということだ。彼らの文学は、壮大な宇宙規模のビジョンに彩られているし、神々や神話上の出来事を絵や像にあらわした。そして、回帰する歴史観をはぐくんだ。歴史は循環する、という考え方で、歴史には始まりも終わりもない。だから、インド-ヨーロッパの歴史は、生と死が永遠に交代するように、生まれては滅びるいくつもの世界をさまざまに語ることだった。

東方の二大宗教、ヒンズー教と仏教は、インド-ヨーロッパに起源をもつ。ギリシア哲学とならべてみると、じつによく似ているのだ。ヒンズー教と仏教は、神のような者がすべてのもののうちに存在する、という。「汎神論」である。そして、人間は宗教的な洞察によって神と一体になれる、と。神秘主義である。そのためには、自分を深めたり瞑想したりすることが必要で、東洋では受け身であること、世の中から身を退くことが宗教的な理想とされることがある。出家や修行、隠匿生活だ。ギリシアにも、人間は魂を救うために禁欲や苦行、あるいは宗教的な隠遁のうちに生きるべきだ、と考える人がたくさんいた。中世の修道院生活にはそうした考えた方が受けつがれている。また、インド-ヨーロッパの多くの文化では「魂の輪廻」が大きな意味をもっていた。ヒンズー教は、信者の「魂の輪廻」からの開放をめざす。プラトンも「魂の輪廻」を信じていた。



40代前半。この年になると仕事でも私生活でもいろいろ思うところがあり、思索にくれるうちに頭がこんぐらがってきたから、ブログに思いのたけをつづって、ついでに問題を整理しようと思ったのが、当サイト開設のきっかけ。だから全部、日記みたいなもの。
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