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カール・マルクス【KARI MARX】

カール・マルクス(1818-1883)は、ドイツの哲学者で革命家。31歳からロンドン居住。ヘーゲル派だったが、20代半ばから友人エンゲルスとともに科学的社会主義を創出。資本主義を批判し、死ぬまで国際的社会主義運動のためにつくした。『資本論』が主著。

20台前半、ベルリン大学でマルクスはキルケゴールとともにシェリングの講義を聞いた。キルケゴールはソクラテスで修士論文を書いていたが、マルクスはデモクリトスとエピクロス、つまり古代の唯物論者について博士論文を書いていた。ふたりとも、将来の哲学のデッサンをしていたのだ。キルケゴールは実存主義者に、マルクスは唯物論者(とくに史的唯物論者と呼ばれる)になるのである。2人ともヘーゲル哲学が出発点。ただし、ヘーゲルの思考法に決定的な影響を受けはしたけれど、ヘーゲルの世界精神という概念や観念論とは距離をとった。彼らは世界精神なんてないと思っていたのだろう。そういう意味で、壮大な哲学体系の時代はヘーゲルで終わった、といえる。そのあと、哲学はまったく新しい方向へ向かう。頭でっかちな哲学にとってかわったのは、いろんな「現実についての哲学」だ。「行動の哲学」といってもいい。マルクスは、哲学はこれまで世界を解釈するばかりで変えようとはしてこなかった、といっている。哲学の歴史のターニングポイントがやってきたのだ。

マルクスの思想には現実的な、政治的な目的があった。マルクスは単なる哲学者ではなかった。歴史学者で、社会学者で、経済学者だった。とにかく、マルクス以外には政治にこれほど大きな意味があると考えた哲学者はいなかった。でも、マルクスにちなんで「マルクス主義」と呼ばれているものとマルクス自身の思想は分けて考える必要がある。マルクスは1845年、27歳でマルクス主義者になったが、時々、自分はマルクス主義者ではない、と言い張ったそうだ。ちなみに、20世紀にはレーニン、スターリン、毛沢東など、たくさんの人びとがマルクス主義を推し進めた。旧東側の国では、レーニンにちなんで「マルクス・レーニン主義」なんていったりもする。

マルクスは古代の原子論者や、17、18世紀の機械的唯物論者のような哲学的な唯物論者ではなかった。社会の物質的な要素がぼくらの考え方を決定している、と考えたのだ。この物質的な要素は歴史の流れも決定している、と。歴史は対立物の変化が突然の変化で消えてしまうことによって発展していく、と説明したヘーゲルの考え方にマルクスは賛成だった。でも、ヘーゲルは逆立ちしている、と思った。ヘーゲルは、歴史を動かす力を世界精神とか世界理性と呼んだ。しかし、マルクスは、まず物質的な状況の変化がある、と考えた。精神が物質的な状況の変化をもたらすのではなく、その反対に、物質的な状況の変化が新しい精神をもたらす。経済という力がすべての変化をリードし、歴史を動かす、と。古代には哲学や科学は、哲学や科学のためだけにあった。古代の哲学者は自分の理論が現実をよくするだろうか、などとは考えなかった。社会のしくみがそうさせたのだ。古代ギリシアでは、生産は奴隷の労働に頼っていた。市民は、実用的な発明をし生産性を高める必要がなかった。これが、物質的な状況が思考を決める例だ。マルクスは、物質的、経済的、社会的な状況を「下部構造」と呼んだ。そしてある社会の考え方、政治制度、法律、そしてなにより宗教、道徳、芸術、哲学、科学――こういうものをひっくるめて「上部構造」と呼んだ。で、社会の上部構造は物質的な下部構造を反映する、と考えたのだ。といっても、上部構造と下部構造はもちつもたれつだ。人間の思想や理想が歴史を動かすこともある。ここを否定したら、マルクスは機械的唯物論者になる。けれども、両者には相互関係、つまり弁証法的な緊張関係がある、と見ていたから、マルクスは「弁証法的唯物論者」だ。

さて、マルクスのいう下部構造は三層に分けられる。一番下は社会の「自然的生産条件」だ。気候や資源なんかだ。これが土台となって、その社会ではどんな生産ができるかを限定する。さらに、社会の性質や文化も限定する。砂漠では漁はできないし、寒い国ではナツメヤシ栽培はできない。遊牧民族と漁村では人間の考え方もまるで違う。そういうことだ。つぎの層は「生産手段」だ。人間の労働力に道具や機械も含む。そして一番上の層が「生産関係」、つまり生産手段を握っているのはだれか、ということだ。労働の分配や財産の所有なども含む。ここまでみてきてわかるように、マルクスによると、社会の生産方式が政治や思想の状況を決めるのである。現代人が封建社会の人たちと異なる考え方や道徳観をもっているのは当然なのだ。マルクスは、いつの時代にも通用する自然法など信じていなかった。道徳や習慣は、社会の下部構造の産物なのだ。昔の農村で、結婚相手を親が決めていたのはそれなりの理由があったからだ。それは、だれがゆくゆく農園を継ぐか、ということだから。マルクスは、なにが正しくてまちがっているかを決めるのは、たいてい社会の支配階級だ、ともいっている。マルクスによれば、すべての歴史は階級闘争の歴史であり、歴史とは、生産手段をめぐる争いなのだ。

マルクスによると、どの時代にも二つの大きな社会階級がせめぎあっていた。古代の奴隷制社会では、自由市民と奴隷。中世の封建制社会では、封建領主と農奴。その後も貴族と市民が対立してきた。でも、マルクス自身のブルジョワ社会、あるいは資本主義社会の時代には、資本家(ブルジョワ)と労働者(プロレタリア)が対立している。つまり、生産手段をもっている者ともたざる者との対立だ。そして、上層階級が進んで権力を引き渡すということはありえないから、変化は革命によってしか起こらない。で、マルクスがとりくんだのが、資本主義社会から共産主義社会に移るにはどうすればいいのか、という問題だった。そのために、資本主義の生産方式をとことん分析した。その前に、労働に対するマルクスの考えを押さえておく。

マルクスは、働き方は意識に影響し、意識も働き方に影響する、と考えた。頭と手は相互関係にある、といってもいい。人の思考はその人の労働とかたく結びついているたのだ。だか、仕事のない人はいわば宙ぶらりんなのだ。このことにはヘーゲルも気づいていた。ヘーゲルとマルクスは、労働は「人間であること」と密接に結びついているとして、肯定的にとらえていた。マルクスが資本主義の生産方式をこてんぱんにこきおろしたのは、まさにこれが原因。というのも、資本主義のシステムでは、労働者は誰かほかの人の利益のために働く。働けば働くほど、他人がトクするシステムだ。すると労働は労働者自身から抜けだして、労働者のものでなくなってしまう。そうして人間であることのプライドを失う。マルクスはこれに「疎外」というヘーゲル用語をあてはめた。

資本主義社会は、労働者が事実上、ほかの社会階級の奴隷となるように組織されている。労働者はブルジョワに労働力を差し出すだけでなくて、人間としての存在をそっくり明け渡してしまうのだ。事実、1850年ごろのヨーロッパ社会はそういう状態にあった。労働者は凍えるほど寒い工場で、日に14時間も働かされた。賃金はひどいもので、子どもや妊婦も働きに出なければならなかった。賃金は安物の酒で支払われることもあったし、たくさんの女性が売春して生活費の足しにしなければならなかった。客は上の階級の男たちだ。人間の高貴のしるしであるはずの労働が、労働者を動物にしてしまったのだ。

1848年、マルクスはフリードリヒ・エンゲルスといっしょに有名な「共産党宣言」を発表する。書き出しはこうだ。「妖怪がヨーロッパ中を歩きまわっている。共産主義という妖怪が」。これを聞いて、ブルジョワたちは恐れおののいた。実際にプロレタリアが立ちあがり始めたからだ。宣言の終わりはこう締めくくられている。「共産主義者は意見と意図をひた隠しにすることで鼻で笑って拒絶する。共産主義者は、彼らの目的はこれまでのあるゆる社会秩序を暴力でくつがえさなければかなえられない、と公言する。支配階級は共産主義革命にふるえるがいい。プロレタリアが革命で失うものは鎖よりほかになにもない。プロレタリアは世界を手にするのだ。すべての国々のプロレタリアよ、団結せよ!」。マルクスは、資本家による労働者からの「搾取」を憎んだ。また、資本主義の生産方式は矛盾をたくさん抱えている、と考えた。資本主義は理性にコントロールされていない、自滅の経済システムだ、と。マルクスは資本主義のシステムはどのみち滅びるとみていた。その意味で、マルクスは資本主義を「進歩的」と受けとめていた。共産主義にいたる欠かせない一ステップだからだ。

マルクスが資本主義を不完全と見なしたのは、たとえば資本家は利益が出ると、事業拡大しさらに儲けるため、工場を増築したり設備を増設する。新しい機械を買う。すると、機械が労働者の仕事を奪う。資本家は競争力を高めるため、機械化をどんどん進め、人経費減らしに努める。もちろん、そう考えるのは彼だけではない。社会全体の生産が小止みなく効率化されていく。工場は大きくなり、労働者は少なくなる。失業者が増えるのだ。これは深刻な社会問題となるだろう。資本主義の弱点はこれだけではない。競争原理が働き、資本家たちは商品の競争力をあげるためにさまざまな無理を強いられる。儲けが少ないのに生産手段に投資しなければならなかったり、赤字を補填しなければ事業の継続が困難になったり。こんなとき、資本家がやるのは労働者の賃金をさげるだろう。すると、彼らはものすごく貧しくなって、なにも買えなくなってしまう。社会全体の購買力が下がるのだ。製品が売れなければ、資本家は儲からない。こうなると悪循環だ。資本主義の私有財産制の弔いの鐘がひびく、とマルクスはいった。彼は、最後はプロレタリアが立ちあがって、生産手段を自分たちのものにする、と考えていたのだ。

こうなると、しばらくはプロレタリアがブルジョワを力で牛耳る新しい階級社会がつづく。この以降の段階をプロレタリア独裁という。そして、プロレタリア独裁は階級のない社会、つまり共産主義社会にとってかわられるのだ。そこでは生産手段は人民のものだ。それぞれが能力に応じて働き、必要に応じて支払われる。労働は労働者のものになる。疎外は消えうせる。

だがそういう革命が現実に起こったかというと、答えはイエスでありノーだ。現代の経済学者なら、資本主義の危機の分析など、重要なところでマルクスが犯したまちがいをいくらでも指摘できる。工業がまねく自然破壊についても配慮が足りなかった。しかしそういうことを差し引いても、マルクス主義は大きな変革をもたらした。マルクスをかかげて社会正義のために闘った社会主義は、たとえばプロレタリア独裁は受けいれられなかったし、なにからなにまでマルクス通りではなかったとしても、人間らしい社会を勝ちとることに成功した。いずれにしろ、西側諸国ではこんにちぼくらは、マルクスの時代より公平な、まとまりのある社会に生きている。少なからずマルクスや社会主義運動のおかげなのだ。

マルクスよりあとの時代に、社会主義運動は二つに分かれた。社会民主主義とレーニン主義だ。じっくりおだやかな方法で公平な社会秩序を実現していこうとする社会民主主義は西ヨーロッパ型だ。ゆるやかな革命というところだ。これに対し、古い階級社会と闘うには革命しかないとするマルクスの信念をそのまま受けついだレーニン主義は、東ヨーロッパやアジアやアフリカで大きな影響力をふるった。二つの運動はそれぞれのやり方で貧困や抑圧と闘った。それが、新しい抑圧を生んだ、という側面もある。ソ連や東ヨーロッパでだ。でも、マルクスが死んで50年、100年もあとの社会主義のマイナス面をマルクスのせいにするのはおかしい。人間のすることは所詮、善と悪のごたまぜなのだ。ただ、共産主義も人間が実現させるものだ、そして人間とはまちがいを犯すものなのだ、ということをマルクスはあまり考えなかったのは事実だ。地上の楽園など、本当はどこにもないのだ。人間は次々に問題を引き起こしては、それと闘っていくのだろう。



40代前半。この年になると仕事でも私生活でもいろいろ思うところがあり、思索にくれるうちに頭がこんぐらがってきたから、ブログに思いのたけをつづって、ついでに問題を整理しようと思ったのが、当サイト開設のきっかけ。だから全部、日記みたいなもの。
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