哲学部
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神秘主義――ぼくらは神や宇宙とひとつになれる

神秘的な光

神秘的な体験が悩める魂の救済に役立つとしたのは、新プラトン学派だけではない。

哲学だと、近代ではドイツ神秘主義のエックハルトベーメが代表格だ。現代ではハイデガーなどが神秘主義者として知られている。

神秘主義を信奉する宗教には、インドのヨーガ中国の密教や道教イスラムのスーフィズム(8世紀に興ったイスラム神秘主義)などがある。

神秘的な体験ってなに?

神秘的体験なんて聞くと、目の前に神さまがあらわれて啓示を授かったとか、神隠しに遭ったとか、死んだじいちゃんが枕元に立ったとか、そういうのを頭に思い浮かべがちだけれど、もちろんちがう。

神秘主義(ミスティシズム)をひとことでいうと、

ぼくらは「神」や「絶対者」「存在そのもの」など、究極のなにかに帰一、融合できるという、哲学上または宗教上の考え方。

【帰一】分かれているものが最後はひとつになること。

ということになる。

もうちょっとくわしくやろう。

神秘主義者は「神秘家」になりたがる

「わたしであるとき、神は存在しなかった。いまは神がそこにいて、わたしはもう存在しない」

これは、インドの神秘家の言葉。

キリスト教の神秘家のシレジウス(1624~1677年)もこんな言葉を残している。

「水滴は海に流れでると海となる。魂は世界に受け入れられて神となる」

神秘的体験とは神(宇宙)と溶けあう経験

神秘的な体験というのは、「神」とひとつになる経験のことをいう。こういう経験をしたひとのことを「神秘家」なんて呼ぶ。

神とひとつ、とかいわれても、ぼくら日本人にはピンとこない。でも「神」を、「森羅万象」とか「地球」とか「宇宙」に置き換えると、ちょっとわかる。

神秘家は、神(宇宙)とその創造物(人間)のあいだにへだたる深い溝を超える、そして世界と溶けあうなかでおのれが消滅するような奇跡的な感覚を味わう、とたくさんの宗教が語る。

仏教でいうと、「悟り」や「涅槃(ねはん)」だろう。

雨粒が海に落ちると海の一部になるように、世界のなかに埋没し、みずからの実存を見失うのが神秘的体験である。

神秘的体験で、魂は一段階高い場所にいける

こうした体験がもたらすものは、それが奪うものより圧倒的に大きいと、神秘家たちは口をそろえる。

現在の自分自身は消滅するけれど、その果てに、自分自身がじつはとてつもなく大きなものだったのだと、ありありと実感するという。

神秘的体験は、日々を漫然と生きていては訪れてくれない。神秘主義者や宗教家はだから、生涯をかけて修行にいそしむのだ。

むろん、それでも求道者がみんな神秘的な体験をできるわけではない。というか、むしろそういうものとまったく縁のない暮らしをしている凡夫がある日突然、「神の言葉を聞いた!」「宇宙の意識に触れた!」なんていいだすこともある。

ああいうのはたぶん神秘的体験のひとつ。

「宇宙人とコンタクトした(連れ去られた)」なんていいだすひともひょっとすると神秘的体験をしていたのかもしれない。

ドラッグが、そういう境地に人間をいざなうことはめずらしくない。

ある種のドラッグには、時間と空間の感覚から人間を解きはなつような作用がある。アニミズムシャーマニズムの儀式では、麻薬効果のある植物を用いて自然や宇宙と一体化しようとする。自然や宇宙の声に耳を傾ける。インディアンや南米の原住民はいまなおそういうことをしている。

宗教は神秘的な傾向がある

どんな宗教にも神秘主義的な傾向があるものだ。あまたの宗教家が神秘的体験について語るとき、時代や場所を超えてそれらは驚くほどに似通っている。

そういう神秘家たちの体験に通底するのは、

神はぼくらの暮らす世界の内側にいる。世界のどこか外側にいるわけではない。神はぼくら自身のなかにいて、ぼくらは神(世界)そのものなのだ。

いろいろ書いてきたが、ぼくがこの記事でいいたかったのはこれにつきる。ぼくはずっと無神論者だったのだけれど、神秘主義を通して神というものの実存にちょっと近づけた気がするからだ。

つづく



40代前半。この年になると仕事でも私生活でもいろいろ思うところがあり、思索にくれるうちに頭がこんぐらがってきたから、ブログに思いのたけをつづって、ついでに問題を整理しようと思ったのが、当サイト開設のきっかけ。だから全部、日記みたいなもの。
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