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万物不動か流転か、パルメニデス対ヘラクレイトス

万物流転世界の材料たる「元素」に着目したミレトス学派はしかし、ひとつの元素がどのように変化して世界をかたちづくるのか、という「問い」を立てることはしなかった。

この「変化の問題」と格闘したのが、植民地エレアの哲学者たち――エレア学派だった。

パルメニデス(紀元前515年頃~没年不明)

エレア学派のなかでも頭抜けた才覚を発揮し、そのころ売り出し中だった気鋭の哲学者パルメニデスは、この問いに対し、

「あるものはあり、あらぬものはあらぬ」(無からはなにも生まれず、今あるものは常に存在していた)

と考えた。

これは別段新しい発想ではない。ギリシア人にはおなじみのものだった。ただ、彼が「真の変化などありえない」と考えた点は新鮮味があったようだ。どうしてパルメニデスがそう考えたかというと、彼にとって変化は、何かが消滅し、同時に何かが生じる、ということだったからだ。

彼のこのアイデアは、のちほど紹介するヘラクレイトスの「万物流転説」対し、「万物不動説」と呼ばれている。

といっても、世界というものは移ろう。自然はたえず変化している。パルメニデスもそれを無視することはできなかった。そうなると、理性が知覚した世界と感覚で感じる世界のあいだに齟齬が生じる。

彼はそこで、万物不動説と目に見える自然界との不整合に対し、

「感覚はわたしたちに世界の虚像を伝える」

という、強気の説明に打ってでたのだった。

パルメニデスは合理主義者

この時代の哲学者はほとんどが自然哲学者だったのだけれど、パルメニデスはちがう。彼のような態度を「合理主義」という。

合理主義者、なんていうと、ぼくら現代人は「感情ではなく、理性で物事を判断する人」とか「沈着冷静で、いつも自分が得をする選択をする人」なんかを思い浮かべるけれど、哲学がいう合理主義者というのはちょっと毛色が異なる。

合理主義者 = 理性を世界に関する知識の源とみなし、理性に絶大な信頼を寄せる人

という感じだろうか。

パルメニデス以降、古代ギリシアでは多くの合理主義者が輩出するが、その一方で正反対の立場をとる哲学者たちもいた。ヘラクレイトスなどがそうだ。

ヘラクレイトス(紀元前535~475年)

小アジアの都市国家エフィソスのヘラクレイトスは、自然哲学者。パルメニデスとちがって、理性でなく、感覚に全幅の信頼を置いた。

たえまない変化こそが自然の性格であり基本法則だ、と考え、

「すべては流れ去る(パンタ・レイ)」

という有名なセリフを遺している。

いうまでもなく、万物流転、の意。有名な言葉だから、だれでも一度は聞いたことがあるだろう。

ヘラクレイトスはまた、ぼくら人間は、

「同じ流れに2度入ることはできない」

と語った。

目の前にある現実はたえず手からすり抜けていくから、けっしてつかまえることなんかできない、と考えたのだ。

彼は、世界は対立だらけであり、対立がなければ世界もとまる、と考えていて、こんなことをいいもした。

「神は昼であり夜である。冬であり春である。戦であり平和である。空腹であり満腹である」

彼のいう「神」は、神話の世界に登場する神々ではなくて、世界全体に広がる自然というイメージ。だからであろう、ヘラクレイトスは、「神」の代わりに「ロゴス」(世界の理性、世界の法則という意)という言葉をひんぱんに使っていたようだ。

なお、彼の考えでは、ロゴスはあるゆるものに不変の法則だった。だから、全人類はロゴスに従うべきなのだけれど、ほとんどの人間は視野狭窄に陥っていて、自分の世界から抜けだそうとはせず、我流の理性だけを頼って毎日を過ごしているとして、彼は大衆をおおいに見下し、馬鹿にしていたらしい。

「やつらはひとりでも一万人でも大差ない」

こんな暴言を吐いたくらいだから、ヘラクレイトスの大衆嫌いはよっぽどだったのだろうと察しがつく。

世間に牙をむいたヘラクレイトス

そんなふうに傲岸不遜な性格の持ち主だったから、牙をむいたのは大衆相手だけではなかった。ピタゴラスのことをペテン師呼ばわりしたし、ホメロスはむち打ちに値する、といって糞味噌にこきおろした。こんな目で。

ヘラクレイトス

性格のよさそうな顔では、たしかにない。

でも、ぼくは思う。ヘラクレイトスはわざと対立をつくりだしていたのではないか、と。というのも、彼の哲学の根幹は、先ほど書いたとおり「対立」にあるからだ。彼によると、世界は対立で成り立っている。ヘラクレイトスは、自然の変化と対立のなかに、ひとつのなにか、あるいはひとつの全体を感じ、それを神とかロゴスと呼んだのである。対立こそ、世界の実像であり、すべてなのだと信じていたにちがいない。

ヘラクレイトスの最期は、それは悲惨きわまりないものだったらしい。

隠遁生活をつづけているうちに栄養失調がたたって、水腫になった。水腫というのは、全身に水が溜まった状態。それを、牛の糞尿に首まで浸かって治そうとしたそうだが、もちろんそんなもので治るはずもなく、そのまま死んでしまって、犬に食われたという。

偉大な賢者が、肥だめに浸かれば病気が治る、と考えたという話はいささか眉唾の感をぬぐえないけれど、ひょっとすると、ヘラクレイトスは自分の健康問題にも、「対立」を持ちこんだのかもしれない。養生でなく不養生によって、身体をいたわるのでなくいじめることで、道が開ける、なーんて考えていた可能性もなくはないのではないか。

まとめ

パルメニデスとヘラクレイトスの登場で、思想界はまっぷたつに割れた。

パルメニデス派とヘラクレイトス派、万物不動派万物流転派、感覚がとらえた世界は虚像だとする合理主義と、世界の法則である「ロゴス」の本質は対立だという考え方……。ともかく、この2人は当時のギリシア哲学者らのハートをわしづかみにした。

その余韻は、じつは現代にも長く響いている。

なお、パルメニデスとヘラクレイトスは同時代人ではあるが、実際に会って議論をかわすことはなかったという。

つづく



40代前半。この年になると仕事でも私生活でもいろいろ思うところがあり、思索にくれるうちに頭がこんぐらがってきたから、ブログに思いのたけをつづって、ついでに問題を整理しようと思ったのが、当サイト開設のきっかけ。だから全部、日記みたいなもの。
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