哲学部
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パウロ【PAULO】

初代キリスト教の伝道者、聖人。元パリサイ派。イエスの死の数年後、パウロ(紀元前後-紀元後59)はキリスト教に改宗した。ギリシア-ローマ世界のすみずみにまで、難治も伝道の旅をした。キリスト教が世界宗教となったのは、パウロの功績だ。パウロはアテナイにもやってきた。パウロはそこで憤慨する。偶像崇拝が盛んだったからだ。パウロはエピクロス学派やストア学派の哲学者と話をしたという。ギリシア哲学とキリスト教の教義が火花を散らした。一見すると、両者の思想はまったくかけ離れているように思うが、じつは溶けあう素地は多分にあった。パウロは、アクロポリスの青空演説会場に立って、アテナイの市民を前に演説をぶった。内容はこんな感じ。①すべての人は神を探し求めている(ギリシア人も納得)②アテナイ市民は偶像崇拝に熱心だが、神は人の手がつくった神殿には住んでおられない③神を感じ、見いだしたいなら、主を捜さねばならない④あなた方の詩人にも「わたしたちは主の種族だ」といっている人がいるが、われわれが主の種族なら、神は人の想像からつくった像のようなものだと考えるべきではない⑤そういう無知にこれまでは目をつぶってきたが、今、世界中の人間に悔い改めることを命じておられる⑥事実、神はたしかにわれわれの前にあらわれ、本当に人間と出会った⑦だから、神とは、人間が理性で到達できるような哲学上の存在ではない⑦神とは、歴史のなかにあらわれ、人間のために十字架で死んだ、人格をもった神なのだ。

これを聞いて、あざ笑う人もいたが、もっと話を聞きたい、という聴衆もいた。そして、たくさんの人がキリスト教に改宗した。パウロの伝道によって、紀元後わずか数十年にはもう、アテナイ、ローマ、アレクサンドリア、エフィソス、コリントといった、ギリシアとローマの主立った町にキリスト教のグループができていた。3、400年のあいだには、ギリシア-ローマ世界はすみずみまでキリスト教化することになる。

パウロは単なる布教師でなく、指導者としても采配をふるった。イエスの死後しばらくは、非ユダヤ人はユダヤ教徒にならずにキリスト教徒になれるか、ということが問題とされた。ギリシア人はユダヤ教の戒律を守るべきか、などだ。この時点では、キリスト教はユダヤ教の一宗派だったからだ。これに対し、パウロは、「必要なし」と考えた。この瞬間、キリスト教はユダヤ人だけでなく、全人類が受けとれる、普遍的な救いの福音に進化したのだった。神とイスラエルの民の古い契約は、イエスが神と人類のあいだに結んだ新しい契約にとってかわられたのだ。

そうして、最初の使徒信条ができあがる。使徒信条とは、もっとも大切なキリスト教のドグマ(教条)をまとめたもの。使徒信条を急ぎ足で作成したのは、この時代に興った宗教がキリスト教だけではなかったことも関係している。ほかの宗教との差異化をはかり、内部の混乱を避ける必要ががあったのだ。ドグマのうちもっとも重要なのは、イエスは神であると同時に人だった、ということだ。イエスは現実の人間であり、人間としての生を持ち、現実に十字架にのぼった。このことにより、彼は神の御子だが、それだけでなく、神そのものでもある、というのである。矛盾しているようだが、教会は「神が人になった」と宣言した。ギリシアやヘレニズム世界でおなじみの半神半人ではなく、完全な神で完全な人だ、と説いたのだった。新解釈だ。

キリスト教が、ギリシア-ローマ世界に登場したことは、2つの文化圏のドラマチックな出会いを意味している。これは、歴史上の大きな文化の転換点となった。人類は、ここで古代に別れを告げる。初代ギリシア哲学からここまでほぼ1000年が経過。次は、キリスト教中世。これも1000年つづく。



40代前半。この年になると仕事でも私生活でもいろいろ思うところがあり、思索にくれるうちに頭がこんぐらがってきたから、ブログに思いのたけをつづって、ついでに問題を整理しようと思ったのが、当サイト開設のきっかけ。だから全部、日記みたいなもの。
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