哲学部
人間の社会、文化、芸術、科学、技術はすべて哲学からはじまった。哲学は、だからいろんなことを教えてくれる。
News Stories

大数学者ピタゴラスは、美男子だが奇人だった

ピタゴラスの定理ピタゴラス(紀元前570頃~496年)は、古代ギリシアを代表する数学者だ。ほかにもいくつもの顔を彼はもっていたという。天文学者、宗教家、魔術師……。そして哲学者でもあった。

哲学者、を厳密に規定すると、ソクラテス以降に哲学的思索をおこなった人たちのことをいうらしい。

でもそれは、ソクラテスが初めて「哲学者(フィロソフォス)」という言葉を使ったから。それ以前に哲学的な思索をおこなっていた人たちが「哲学者」を名乗らなかったのは、たんに「哲学者」という言葉を知らなかったからにすぎない。

それをもって、ピタゴラスを哲学者と呼ばない向きがあるのは、アンフェアだとぼくは思う。

なにしろ、ピタゴラスは当時、一級の知識人として勇名をとどろかせていた。その影響は、後進の哲学者や宗教家、自然学者のみならず、ルネサンス以降の宇宙論や音楽理論、詩学にまでおよんでいる。

美男子だったが、女には興味がなかった

ピタゴラスは相当な美男子だったそうだ。そう聞いたので肖像を探してみた。

みつかったのがこれ。

ピタゴラス

肉体美はわかる。でも、男っぷりがいまいち伝わってこない。だから、さらにネットの海を深く深く沈潜してゆく。メル友かツイ友の写真をFacebookかなんかで必死に探しているような気分になった。横顔でなく、できれば正面を向いたものがないかしら……。

ようやく見つけた2枚目の肖像画がこれ。

ピタゴラス

こっちを向いているけれど、ひげはさらに伸び、もはや人相さえ判然としない。でも、ベレー帽がオシャレ。苦み走った表情も、往年のチャールトン・ヘストンを彷彿させる。よく見ると、風貌も凜々しくて涼しげ。昔はさぞや女を泣かせたことだろう、などと下世話な想像をめぐらせていると、哲学書のピタゴラスの欄にこう書いてあった。

  • 男ばかりの集団生活、それも厳格な禁欲生活を送っていた。

ピタゴラスが主宰する「ピタゴラス学派」は、学者集団であると同時に、神秘主義的教団あるいは秘密結社のような横顔もあわせもち、入団する者は全財産を共有物として寄付し、おそろいの白いユニフォームを着て、徹底した菜食主義をつらぬき、厳しい禁欲生活を送っていたのだそうだ。

理由は、輪廻転生を信じたから。霊魂の不滅と死後の応報を信じたからだったという。

でも、いい年の男たちがそういう生活をつづけていると、リビドーをもてあますのは必定。欲求不満はやがて、彼らを奇行へと駆り立てた。というのはぼくの勝手な解釈だが、ピタゴラス教団、というかピタゴラス学派が、奇妙な戒律を遵守していたのは事実。

ちなみに、奇行というのは次のようなもの。

  1. そら豆を忌み嫌い、けっして口にしない。
  2. そら豆嫌いが高じて、いんげん豆やレンズ豆も食べない。
  3. 鉄で火をかき混ぜない。
  4. パンをちぎらない。
  5. 軒下にツバメの巣をつくらせない。
  6. ベッドに身体の跡を残さない。
  7. 灰の上に鍋の跡を残さない。
  8. 太陽に向かって小便しない。

そして彼らは、数に次のような意味があると説いた。

理性
男性性
女性性
正義

これらの数字が意味するところは、ぼくにはさっぱりわからない。ただ、ピタゴラスは若いころ、あちこちの国を放浪したそうだ。そのせいで秘境好きの神秘主義者になったのではないか、と察することはできる。

それでも、ピタゴラスはすごい哲学者

最初に「ソクラテス以前の哲学者はフィロソフォス(哲学者)と呼ばれていない」と書いたけれど、フィロソフォスの語源の「フィロソフィア(哲学)」という言葉を考えたのはピタゴラスだ。

ピタゴラスは、フィロソフィアに「知識愛」という意味を与えた。だから、ソクラテスはフィロソフォスに「知識を愛する者」とか「知識を真摯に探し求める者」という意味をこめたという。

やはりピタゴラスは哲学者だ。

最後になってしまったけれど、希代の数学者としてのピタゴラスの功績を3つ記し、この稿の幕を引きたい。

1.ピタゴラスの定理を発見

幾何学でおなじみの定理。直角三角形の斜辺の長さの2乗は、ほかの2辺の長さの2乗の和に等しい、というやつだ。三平方の定理とも。

なお、ピタゴラスの表は彼が考案したわけではない。いにしえの大数学者にちなんで、後世の人びとが九九の計算表をそう呼ぶようになっただけ。

2.「すべては数だ」という言葉を遺した

万物の原理を数に置き、世界を解く鍵は数学だ、と悟ったピタゴラスは、有名なセリフを吐いた。

「すべては数だ」

弟子フィロラオスのこのセリフもまた至言とされている。

「知られているあらゆることに数がある。数がなければ考えることも知ることもまったくできないだろう」

気になるのは、数がどのようにして物事を表現するのかだろう。数には実体がないし、物理的具体性もない。事実、こうした反論もあったようだけれど、ピタゴラスは、

「1は点、2は線、3は面、4は立体」

と論駁(ろんばく)をくわえたという。どういうことかというと、あらゆる数の基礎である「1」は、実質的に点であるから、物理的な具体性をもっている、というのである。そして、このロジックを完成させるため、ほかの数字にも実質を与えたのだ。

少なくとも、さきほど登場した「1は理性、2は男性性、3は女性性、4は正義」にくらべると、ずっとわかりやすい。

3.無理数を発見した

ピタゴラス学派が「いわく言いがたい数である」と呼んだある数字の発見も、彼らの大きな手柄。発見者はヒッパソスという弟子だけれども、ピタゴラスの教えがあったからこそ、という点で、ピタゴラスの功績といってしまっていい。

「いわく言いがたい数」というのは、無理数のことだ。

無理数ってなに?

数学が苦手だった方のために、簡単に解説しておこう。

無理数の代表格は、√(ルート)やπ(パイ)。分数であらわせず、小数であらわしたときに有限小数や循環小数にならない数をいう。つまり、小数点以下が無限で、かつ循環しない(規則性がない)数字のことだ。

無理数が見つかったのはたぶん、ピタゴラスの定理がきっかけだったのだろう。直角二等辺三角形の斜辺を計算しようとすると、ルート2の存在に目を向けないわけにはいかないからだ。ルート2は、小数点のあとに無限に小数がつらなり、しかも周期がない。だから、全体像を把握することができない。

そう、物理的具体性がないのである。

というわけで、ピタゴラス派は頭を抱えた。彼らは、物事の関係は全部、数字で表現できると考えていた。世界の問題はすべて数学で解決できると信じていた。なのに、ピタゴラスの定理が説きあかした直角三角形の概念はまたも、謎の数字の出現によって、人間の手の届かないところへいってしまった。

無理数の発見は当時の知識人たちのあいだに、大きな波紋を呼んだらしい。

アリストテレスがそのことを自著に記しているそうだ。ぼくは読んだことがないけれど。

photo credit: Vitruvius via photopin (license)
photo credit: Pytagoras via photopin (license)
photo credit: Pithagoras via photopin (license)


40代前半。この年になると仕事でも私生活でもいろいろ思うところがあり、思索にくれるうちに頭がこんぐらがってきたから、ブログに思いのたけをつづって、ついでに問題を整理しようと思ったのが、当サイト開設のきっかけ。だから全部、日記みたいなもの。
Leave a Reply